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宙奏ブログ&メールマガジン・アーカイブ

直感アーカイブ2 

2011年09月01日 (Thu)
*私(やまだまよ)のブログの古い記事から起こしています。
そのため以前のタイトル「願いを叶える点描曼荼羅画」と書かれています。
ご了承ください。

曼荼羅(まんだら、、梵語:मण्डल maṇḍala)とは、

仏教(特に密教)において、
聖域、仏の悟りの境地、世界観、仏教的宇宙などを

仏像、シンボル、文字などを用いて
視覚的・象徴的に表したもので、
「曼陀羅」とも表記されています。


言葉では表現できない宇宙を「絵・図」としたもの、
それが曼荼羅画といえるかもしれません。

「マンダラ」と言う言葉自体が
サンスクリット語で「円」を表すともいわれますが、

曼陀羅画という場合は決まった形は「有るようで、無い」のです。


私が描く曼荼羅画は 
サンフランシスコにお住まいになる鯉沼香帆さんがお描きになった
「マンダラ画」から啓発を受けて描き出したものです。

初めてそれを目にしたとき、あまりの美しさに、
もともと絵が全く苦手な私は「自分が描こう」だなんて気持ちは一切起きず。

ただ、一度でいいからこれを生で見てみたいと思ったものでした。

その後東京で生の絵を見る機会と自分で描くワークショップがありました。

「描き方を教えるってことは、自分でも描けるの?この絵が?」

道具にはコンパスと定規とありました。

絵が苦手なわたしは、それを使うならできるかもしれないと考えたのです(笑)

しかし東京へ行くことはできず、
そのために一層強く曼荼羅画に心を惹かれてしまいました。


どうしても自分で描いてみたいという欲求が、
今までに経験がないほど、
自分の心をを突き上げてきました。

それは出口を求めてさまよう「龍」が
体の中で暴れているような感覚でした。

恥ずかしい話ですが、
私は犬を描いても動物には見えないほど絵が下手です^_^;

ですから自分で何かを描くという事からほど遠い世界にいました。

でもコンパスと定規なら動物や風景を描くのと違うわけです。

真似事でもなにかデキルかもしれない。

そう思った私は、
紙もペンもありとあらゆるものを試し、失敗しながら、

コンパスと定規を駆使していくつもの円を重ねていく方法を見つけました。

驚いたことに、その曼荼羅画の描き方は、

「数の定理」の上に無限に広がっていくものなのだという事がわかりました。

だとしたら、「こうしたい」とか
「この色が合う」とか、
私の浅薄な意図など全く必要が無いわけで、

私は、自分の意図を表さず、
直感で見えた線、選んだ色だけに集中して制作し続けました。


制作し続けたというより、

次々と生まれる曼荼羅画に

自分で驚き悦び、
描く手が止まらなくなったんです。

それは、ようやく生まれ私の身体から出てきた龍が、悦び、
その咆哮が止まらないといった感じでした。

私ではない何かが表現を求めて飛び出したのかもしれません。


それらを友人たちに見せると皆一様に「欲しい」と言ってくれました。

私は自分の描いたものに執着を持ちたくなかったので、
友人たちに次から次へと貰ってもらうようになりました。

どうして執着を持ちたくないかと言うと「曼荼羅画」には「執着」が似合わないからです。

それはチベット僧が砂絵の曼陀羅画を一週間かかって描き上げ、
お経を唱え、一瞬にしてすべての砂を混ぜ合わせる意味が分かった瞬間でもありました。


点描を打つというのは「無の境地」を生みます。
私は黙々と「無の境地」の気持ちよさに導かれ、
描き続けていました。



そして、そうこうするうちに
私が「こうだったらいなぁ」と目指していたもの、
願っていたもの、が次々と叶っていきました。


それは私が曼荼羅画をもらっていただいた友人たちの間にも同じく起きてきました。

あまりにもピンポイントでほしいものが手に入るので、
おかしい・・ひょっとして曼荼羅画?と思った私は

その検証をしてみようと思ったのと、
自分で描いてみたいという人が大勢現れたので
「シェア会」と言う形で、描き方を教えることを始めてみました。

「シェア会」というのは、
「教える」と言うほどのものではないと考えたのと、

最初は紙を選ぶのもペンを選ぶのも失敗し続けた私の体験から、
「なにが必要か?」を教えるだけでも見た助かるだろうと考えたからです。

やってみたら、続々とみな「懸賞があたった」とか
「欲しかったモノが玄関にぶら下がってた」とか報告をくれました。

やっぱり・・・^_^; 曼荼羅画だったんだ。。。


私が初めて人に対して「シェア会」をと考えていた時
元々に描かれていた鯉沼香帆さんのことを考えました。

全く手さぐりで自分で描きだしていたとしても、
もともと私が受けた啓発は香帆さんの曼荼羅画であり

それを私は私独自に「宇宙を数理で表す方法としての曼荼羅画」と理解をしていったとしても

私が私の方法を教えていいのだろうか?と。

自信が無かったのです。

そんな時、私がMIXIにアップしていた曼荼羅画をみて
香帆さんのお母様「鯉沼征代さん」がメッセージをくれました。

わたしはこのお母様「鯉沼征代さん」とアロエを通してご縁をいただきました。
それで香帆さんの曼荼羅画を紹介いただいたのです。

メッセージにはこうありました。

「曼荼羅画は祈りです。眞世さんもどうか、札幌の方にこの祈りを広げてください」って、

私は「教える」ことを考えているなど一度も書いていません。
誰にも言わず悶々としているとき、もし教えるなら場所を確保しなくてはなどと考えているときでした。


それが何を意味するかは、考えるまでもありませんでした。

*追記:2/2017
私は現在のテキストでも冒頭に香帆さんの曼荼羅との出会いとそのHPを掲載しています。
香帆さんを生涯リスペクトさせていただきます。


本当に書ききれないくらいのことが、曼荼羅画に関して、また私に関して起きつづけています。

なぜ曼荼羅画を描くことによって「引き寄せ(または創造)」が起きるのか?に関しても、

うねりのような流れから 大きな答えをもらい、

それをもとに「曼荼羅画ワークショップ」の資料を書き上げることもできました。


曼荼羅画ワークショップの前回は 2011年3月11日午前の札幌エルプラザでのセミナーでした。

それも「その日でワークショップは「とりあえず最後になること」を明言したものでした。

なぜかわかりませんが、私の役割はそこで終わると思っていましたので。


それを終えた午後、札幌でも大きな地震が立て続けに起こりましたが

まさかほかでも起きていると思わない私はテレビをつけることもなく

千葉の妹から絶叫で電話が掛ってくるまで、東北で起きていることがわかりませんでした。


あれから6か月が経とうとしています。


10月29日に大阪で「曼荼羅画ワークショップ」をすることの意味は私が考えるものではありませんが、

曼荼羅画が祈りであることから、今必要な祈りを表すのではないかと私は思っています。


曼荼羅画はとても単純なものです。

絵が上手ではない人の方が向いているのでは?と思うほどです。(自分が全くそうですし)

ピンときた方は是非その直感に従ってみてくださいね^^



願いを叶える曼荼羅画ワークショップin大阪 ご案内

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