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2016/6/15 あなたの恐れは「評価」ではありませんか?

セル・カラーリング体験会の下図を使用したものです。
セルカラーリング体験会についてはHPのこちらをご覧ください。
http://www.mandala-uni.com/#!blank-12/oq3ru
もちろん、講座を終了された方にもご参加いただけます。
セル・カラーリングガイド認定は、プラクティショナー資格を持った方に発行させていただいています。
おはようございます。
最近読んだ本のなか、「なぜ自分は自分に一番厳しい批評家だったのか?」という言葉がありました。(批評家で終わるので改善にはあまり役立ちません。つまりない方がマシということです)
こうでなくちゃならない、ああならなくちゃいけない。
そうなれない自分はやっぱりだめな人間。
口では許しているようなことを言っても心の中は何かある度にそれで埋まる。
そう厳しく自分を責めるのは「自分の中にある恐れ」が原因です。とありました。
で、その本を読んでいたからだと思うのですが、同じような内容の相談を受けました。
*この世界の造りってそうなってるんですよね。
こうした話は宙奏曼荼羅の作成と相似なので、ほぼ似たようなことをお話ししました。
曼荼羅で言えばこう言うことです。
「他の方の曼荼羅を見ると、こんな複雑なのは私には描けないって、途方もない気持ちになる」
「隙間が多くてどうしたらいいかわからない」
そう言う言葉を聞くと、そもそも本当に「描きたい」と思っているのか?それは頭の中だけの希望ではないのか?と私は考えてしまうのです。
本当にそう望んでいるなら、(講座なのですから)なぜ質問しないのでしょうか?
メールで質問してくださったり、アドバイスを求めてくださる方には、私は喜んでお返事をし、そうした悩みであれば必ずこのようなことを返事として書いています。
「冒険が必要なんです。冒険してください!」
「失敗してください!失敗が必要なんです!」
先輩たちの宙奏が美しい理由はそれなんです。
複雑に描こうとしているわけではなく、
やんちゃな冒険を繰り返したあげくああなっています。
テキストにもこう書いています。
失敗しても誰にも迷惑掛けません!お金も掛りません!
時間は失うかもしれませんが、集中している時間に勝手に脳内で起こっている変容は得ているわけですから、真には失っていません。
失敗して得るのはどうして失敗したか?と言う理由です。
大抵は「交点を間違えた」とか、そんなことであって、直せたり、それを活かすことができます。(そうしてくださいとテキストにも書いています)
間違えそうに複雑になっていくと私は指でマークしたり、先に交点だけ少し目立つようにシルシをつけるとかそれに対処するための「知恵」が動きます。
こうするとどうなるんだろう?という冒険と、
これをするにはどうしたらいいのか?と言う知恵を身に着けながら進むのです。
いろいろ悩まれてる方はまだ「これ」を経験していないと思いますが、
「どんな複雑な線の集合体でも、セルを3周くらいとると複雑だったその線はほとんど淘汰され」無くなります。
驚くほど見事にぐちゃぐちゃに見えた線は、一周ほとにセルの後ろに淘汰され消えます。
そして、そのときには先を促すように宙奏が紙の上に花開いています。
これはもう本当に「創造するために生まれてきた魂の仕事」そのものの作業なのです。
冒頭の相談の方は、例えて言えば「この複雑な線の集合体」の前で立ち尽くして、どれが本当か?を迷っているだけです。
その先の現実は自分で作っていくというセオリーと直感を信じないから、一歩も進みません。
3歩進んではこれでは無かったんじゃないか?
(右や左のどちらかに花が咲いているわけではなく、あなたが進んだ道にしか花は咲きません)
2歩進んでは出口はこっちじゃないんじゃないだろうか?
(*進むことによって出口はその先に勝手に造られるのです。最初からあるわけではありません)
5歩戻って、やっぱりこの道を行くにはあの装備とこの装備が必要だわ。それが出来てからじゃないと進めない。
(準備が全て整うことは一生ありません)
あれが無いから、これが無いから、あの人がこう言ったから、あの本で書いてたから、
これは私らしくないから(「らしく」は古い情報であるか錯覚が多いです)
そしてこれをやったら「ハタからどうみられるか?」をチラチラ考えます。
大切なのは間違ってもいい。
熟達したかったら、買ってでも間違う事。これに尽きます。
あなたのした選択は、その一瞬の最高値だったわけで後悔の対象にはなりません。
私がテキストを書いてきた理由は、描き方を教えたかったわけではありません。
こうした、「生き方」「考え方」に準ずる大切なことが宙奏曼荼羅にはたくさん備わってるから、それを伝えたかったのです。
さて、そんな私もこういう仕事をしていると沢山の評価に囲まれているわけです。
周囲の評価は私自身には「謂れが無い」ことですが、
評価する側にとっては「ご自身から私を見て」という「謂れ」があります。
どんな評価もその方の意識に準ずるもので「ただそれだけの事」なんです。
え?どういう事?と思われる方は「自分で考えて」みてください。
人に聞いた答えは自分の身(実)にはなりません。
長くなったので(*^-^)今日はこの辺で。
今日も楽しくお過ごしくださいね!!
まよ