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くるくる定規

「そらかな曼荼羅」を目にした人が
こうおっしゃることがあります。
ああ!昔やった!
あれだよね?
鉛筆刺してくるくるするやつ!
・・・・💦
違います💦
実は私もひょっとして、と
くるくる定規を試してみたことがありますが
細かすぎて、
数字の規則性を拾うことはできませんでした。
写真の点描画は
ファーストテキストの練習作品2に挙げているものです。
縁取りのメタリックが見えるように少し傾けてみました

そしてこちらが練習作品1

そう。
どちらも普遍的な図形で
特に「そらかな」とは言えないものですし、
わざわざ学ばなくても描けそうなものです。
でも私。
これが全くきれいに描けなくて💦
理解したことは
「自分はすべてを侮っていた」という事でした。
これ一個描いただけで
かなりの(自分の)ことがわかります(笑)。
特にラメの縁取り部分は
集中してるので
ふと横切った思考に自分の気持ちが持ってかれたときに。
点線がふらつきます💦
ひとりで「きゃ~!」と言いながら
心を引き締め
なんとかそれが目立たなければいいと考え
とにかく先に進む。
先に進んで振り向けばすでに
「どこだったか?」はわからなくなっています。
しかもです。
PCの様にふらつかないのであれば
この図形は見てもぜんぜん楽しくありません。
喜びが伝わらないというか冷たい感じがするのですね。
「PCじゃないからいい」と言えるのは
その味わわいが必要だから、とも言い換えることができます。
*いつかPCもそんな芸当ができる日が来るのだとは思いますが
私は生徒さんによくこういいます。
正確に描こうとして
正確じゃないところが人間業でいいところなんです💚
しかも人間の目というのは同じものが並んでいれば
勝手に揃えて視る機能があります(笑)。
それに期待するのです!
くよくよしないで先に進みましょう💕
↑↑
大きな作品に向かっているところでは
あらゆる場所でこれを動員しています💦
そしていつも思うのです。
ほんとにこれって人生そのもの。
痛い思い
悲しい思い
つらい思い
どんな思いも
前に進むしか乗り越えることはできず
前に向かって進んだときにはじめて
答えは勝手に降ってくるのです。
何もできないとき
何も手段がない時
もくもくと我に向かうように
私はこの曼荼羅を描いていたと思います。
そんなことをお話ししたくて
ファーストテキストを書きました。
冒頭のくるくる定規も
やってみたところ。
途中で
・鉛筆は外れる。
・歯車のようなギザギザが噛まなくて吹っ飛んでいく。
そう「侮ってはいけない」と教えてくれます。
だからこそなんでも
やってみる価値がある。のです。